弓道に励む中で、多くの人が直面する疑問の一つが弓道立射の作法ではないでしょうか。審査を前にして、その正しい手順や体配について深く知りたいと考える方は少なくありません。また、坐射との違いはなぜあるのか、自分の道場では坐射とどっちを稽古すべきかと悩むこともあるでしょう。特に、立射では跪坐のやり方が坐射と異なるため、混同しやすく、介添がいる場面での振る舞いにも不安を感じることがあります。
この記事では、そんなあなたの疑問や不安を解消するために、立射の基本から実践的なポイントまでを網羅的に解説します。
- 立射と坐射の根本的な違いと適切な使い分け
- 写真でイメージできる正しい立射の一連の手順
- 昇段審査で評価される重要なポイント
- 初心者が陥りがちな失敗とその具体的な対策
弓道立射の基本|坐射との違いと体配
坐射の体配との違いはなぜ?どっちを選ぶ?

弓道における射法は、大きく分けて「立射(りっしゃ)」と「坐射(ざしゃ)」の二つに分類されます。弓道を始めたばかりの方や、昇段審査を控えた方にとって、この二つの違いはしばしば混乱の種となるかもしれません。これらは単に立ったまま射るか、坐って射るかという表面的な違いだけでなく、その成り立ちや一連の動作である体配、そして用いられる場面にも明確な差異が存在します。これらの違いを深く理解することは、ご自身の弓道の稽古を進める上で非常に大切な指針となります。
立射と坐射の比較

二つの射法の具体的な違いを、まずは一覧で確認してみましょう。一見すると似ているようで、その根底にある思想や目的が異なることが分かります。
項目 | 立射(りっしゃ) | 坐射(ざしゃ) |
基本姿勢 | 立った状態から始まり、射位では跪坐をしない「踞(きょ)」またはそれに近い姿勢をとる | 坐った状態から始まり、射位ではつま先を立てて踵に腰を下ろす「跪坐(きざ)」を行う |
成り立ち | 武士が戦場で実践した射法が元になっており、機敏な動きを重視する | 儀礼的な要素が強く、室町時代以降に武家社会の礼法として確立された射法 |
主な用途 | 多くの連盟や道場で標準的に行われる。競技会や普段の稽古で多い | 格式の高い儀式や特定の高段位審査、一部の古流派で行われる |
体配の流れ | 入場から本座、射位への移動、退場まで、歩行を中心とした動作で構成される | 本座や射位で跪坐・起立の動作が加わり、より静かで厳かな動作で構成される |
選択基準 | 所属する道場や団体の指導方針に合わせるのが一般的。特に指定がなければ立射を学ぶことが多い | 昇段審査の課目や、所属する流派の教えで必要となる場合に学ぶ |
「なぜ違いが生まれたのか」歴史的背景

立射と坐射の違いが生まれた背景には、武士の時代の歴史が深く関わっています。それぞれの射法が発展した目的を理解することで、なぜ動作が異なるのかがより明確になります。
立射は、甲冑を身に着けた武士が戦場で敵と対峙する状況を想定した、極めて実践的な射法が起源とされています。常に迅速な対応が求められる戦場では、素早く次の動作に移れるよう、立ったまま、あるいは腰を落とした低い姿勢(踞)で射る形式が発展しました。これは、弓道が純粋な「武術」であった時代の名残を色濃く反映しています。
一方、坐射は江戸時代以降、世の中が平和になり、弓道が武術としてだけでなく、精神修養や儀礼の一環(礼法)として重んじられるようになったことで確立されました。特に小笠原流などの礼法の影響を強く受け、一つ一つの動作を丁寧に行い、心身を落ち着かせ、静かで美しい所作を通じて精神性を高めることが目的とされたのです。これらの射法における厳格な作法は、全日本弓道連盟が定める教本にも明記されています。
参考資料:全日本弓道連- 刊行物
「どちらの体配を選ぶべきか」道場と審査での実践
初心者が「坐射とどっちを学ぶべきか」と悩んだ場合、その答えは明確で、基本的には所属する道場や連盟の方針に従うのが最も良い選択です。
現代の弓道では、全日本弓道連盟に所属する多くの道場で立射が標準的な射法として指導されています。したがって、特別な指定がなければ、まずは立射の体配を一つ一つ正確に身につけることが、弓道の稽古における基本となります。
では、坐射はいつ学ぶのでしょうか。坐射は、主に高段位の昇段審査で必須の課目となります。例えば、五段以上の審査では坐射での行射が求められることが一般的です。将来的に高段位を目指すのであれば、いずれは坐射の習得も必要になることを心に留めておくとよいでしょう。
要するに、弓道の学びの道は、まず実践的で基本となる「立射」を確実に修め、心技が成熟してきた段階で、より精神性や儀礼性の高い「坐射」へと進むのが一般的です。目の前の稽古に集中し、ご自身の段階に合わせて着実に学びを深めていくことが何よりも大切です。
弓道立射の正しい手順と審査のポイント
正しい手順と跪坐のやり方を写真で解説

立射の一連の動作、すなわち体配(たいはい)は、入場から退場まで厳格な手順が定められています。単に矢を射る技術だけでなく、その過程全体が弓道の精神性を表現する重要な要素です。ここでは、その流れを順を追って、各動作に込められた意味合いにも触れながら詳しく解説します。各動作をご自身の姿と重ね合わせ、頭の中で鮮明にイメージしながら読み進めてください。
入場から本座へ
射場(しゃじょう)への第一歩は、心身を整えるための重要な序章です。定められた入口から静かに入り、まず神棚や国旗、審判席といった、その射場の「上座(かみざ)」に対して深々と礼をします。これは、射をさせていただける場所や人々、そして弓道の精神そのものへの敬意と感謝を示す行為です。
その後、射手が登場し準備を整える位置である「本座(ほんざ)」まで、落ち着いた歩みで進みます。この時、歩幅を一定に保ち、すり足に近い感覚で床を擦るように歩くことで、上半身の揺れを防ぎます。視線は遠くに安定させ、ふらつかないように体幹を強く意識することが、落ち着いた所作の基本となります。弓矢は定められた作法に則って携え、身体の一部として扱います。
本座での動作
本座に到達したら、再度、上座に向かって礼をします。ここからが、射を行う「射位(しゃい)」に進むための具体的な準備段階です。和服の場合は、動きやすさを確保し、弦が着物に触れるのを防ぐために「肌脱ぎ(はだぬぎ)」や「襷(たすき)がけ」を行います。これらの動作も体配の一部であり、一つ一つを丁寧に行うことが求められます。全ての準備が整ったら、射位へ向かって歩を進めます。本座から射位までの歩数も道場や規定によって定められている場合があります。
射位での動作(射法八節)

射位に入ってからが、弓を射るための一連の動作である「射法八節(しゃほうはっせつ)」の実践です。
ここで最も重要なのが、立射と坐射の決定的な違いである「跪坐(きざ)」の扱いです。坐射では射位で跪坐を行いますが、立射では跪坐をしないのが原則です。跪坐のやり方で迷うかもしれませんが、立射では立ったまま、あるいは腰を深く落とした「蹲踞(そんきょ)」という姿勢で全ての動作を行います。この違いを明確に認識することが、正しい立射の体配を身につける第一歩です。
- 足踏み(あしぶみ)
- 矢を射るための盤石な土台を築く動作です。的の中心線と自分の身体の中心を結ぶ線上に、両足の親指の先がくるように立ちます。両足の開き角度は約60度、その幅は自分の矢の長さである「矢束(やづか)」が基準とされています。
- 胴造り(どうづくり)
- 足踏みでできた土台の上に、ぶれない上半身の姿勢を確立します。背筋を伸ばし、腰を据え、肩の力を抜きます。この時、足裏・腰・肩が垂直に積み重なるような意識を持つことが大切です。
- 弓構え(ゆがまえ)弦に矢をつがえ、弓を引くための準備姿勢を整えます。弦をかける「取懸け」、弓を握る左手の形である「手の内(てのうち)」、そして的を見定める「物見(ものみ)」の三つの要素で構成される重要な段階です。
- 打起し(うちおこし)
- 準備した弓矢を、額の上まで静かに持ち上げます。両肩が上がらないように注意し、両腕で大きな円を描くようなイメージで行います。
- 引分け(ひきわけ)
- 打起しから、弓を左右均等に、かつ水平に引き分けていきます。「大三(だいさん)」と呼ばれる中間地点を経て、徐々に口の高さまで弦を引き下ろしていきます。
- 会(かい)
- 弓を最大限に引き切り、心身ともにエネルギーが満ち溢れた状態です。この状態は単に「保持する」のではなく、身体全体が前後左右に無限に伸び合っていく「伸合い(のびあい)」が求められます。
- 離れ(はなれ)
- 伸合いが極まった結果、あたかも熟した果実が枝から落ちるように、自然に矢が放たれる瞬間です。意識的に弦を離すのではなく、心身の充実が最高潮に達した結果として生まれるのが理想とされます。
- 残心(残身)(ざんしん)
- 矢を放った後の姿勢を数秒間保ちます。これは、放った矢の行方を見届ける物理的な姿勢であると同時に、今の一射に対する精神的な反省と余韻を示す、極めて重要な動作です。
退場
射が終わり、残心を解いたら、弓を倒して本座へ戻る準備をします。射位から本座へ、そして本座から退場口へと、入場時と同様に落ち着いた歩行で移動します。最後に、定められた位置で上座に礼をし、静かに退場します。この退場まで含めて一つの「射」であり、最後まで気を抜かずに完遂することが、美しい立射の体配となります。
昇段審査や介添がいる場合の注意点

立射の技術と理解度は、昇段審査や介添(かいぞえ)がいるような格式の高い場面でその真価が問われます。普段の稽古とは異なる強い緊張感の中で、いかに平常心を保ち、定められた作法を正確に実践できるかが、上達の証となります。
昇段審査で評価されるポイント
昇段審査において、審査員は単に矢が的に中ったかどうかという結果だけを評価しているのではありません。むしろ、入場から退場までの一連の体配が、連盟の定める規定に沿って正しく、かつ品格や気品をもって行われているかを厳しく評価します。これらの評価基準は、競技規則などにも明文化されています。
参考資料:公益財団法人全日本弓道連盟 競技規則
特に重視されるのは以下の点です。
- 姿勢の安定
- 歩行時や射法八節の各段階で、身体の軸がぶれたり、姿勢が崩れたりしていないか。安定した胴造りは、安定した心の現れと見なされます。
- 動作の正確性
- 足踏みの幅や角度、手の内の形成、打起しの高さ、残心の形など、各手順が教本に示された通りに正確に行われているか。自己流の解釈は厳しく評価されます。
- 気息との調和
- 全ての動作が呼吸と一体となり、落ち着いた滑らかな流れ(息合い)が作れているか。焦りや乱れは呼吸に表れます。
- 残心
- 矢を放った後も心身の気力が途切れることなく、力強くも美しい姿勢が保たれているか。これが、その一射への責任感と反省の心の表現となります。
これらの点を疎かにすると、たとえ的中しても評価は低くなる可能性があります。審査に臨む際は、的に中てること以上に、一つ一つの動作を誠実に行う意識が何よりも求められます。
介添がいる場合の注意点
介添は、射手が射に集中できるよう、矢の受け渡しなどを補助する重要な役割を担います。介添がいる場面は、通常の審査や競技会よりも儀礼的な意味合いが強く、射手と介添との「阿吽の呼吸」とも言える調和が極めて大切になります。
射手として注意すべき点は以下の通りです。
- 動作の合図を明確に
- 介添は射手の動きを見て次の動作を判断します。目線やわずかな身体の動き、呼吸の間合いで、次の動作に移る意思を無言のうちに伝える「目配り、気配り」が求められます。
- 平常心を保つ
- 介添がいることで普段とペースが異なっても、決して焦らず、自分の呼吸とリズムを守り抜くことが肝心です。周囲に惑わされず、自分の世界に集中する精神力が試されます。
- 感謝の意を持つ
- 介添は、射手のために存在します。射を補助してくれることへの感謝の気持ちを常に持ち、それが立ち居振る舞いに自然と表れるように心がけます。この調和の精神こそが、弓道の理念の核心でもあります。
介添との調和の取れた美しい体配は、射手自身の精神的な落ち着きにも繋がり、結果として質の高い射を生み出す土台となります。普段の稽古から、他者への配慮や感謝の気持ちを育むことも、弓道の上達には欠かせない大切な要素と言えるでしょう。
【まとめ】自信を持って弓道立射の稽古を
- 弓道立射は戦場での実践的な射法が起源とされています
- 坐射は儀礼的な要素が強く室町時代以降に確立されました
- どちらを学ぶかは所属する道場や連盟の方針に従います
- 現代弓道では立射が標準的な射法として指導されています
- 立射の体配は入場から退場まで一連の流れで構成されます
- 射の核心部分は射法八節という八つの段階に分かれます
- 立射では原則として跪坐は行わず立ったまま動作します
- 正しい手順を理解し反復稽古することが上達の鍵です
- 昇段審査では的中だけでなく体配の正確性が評価されます
- 姿勢の安定や動作の正確さが審査では特に見られています
- 介添がいる場面では介添との無言の連携が求められます
- 平常心を保ち感謝の意を示すことが良い射に繋がります
- 立射と坐射の成り立ちや背景を理解すると稽古が深まります
- まずは基本となる立射の体配を確実に身につけましょう
- 正しい知識と稽古を重ねて自信のある一射を目指しましょう